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歩く理由、歩ける理由。その3

 

あれは、わたしがまだ身体を壊す前、入院している祖父の病院に、母とお見舞いに行った時の事…

(歩く理由、歩ける理由。その2 - 寝たきり仮想通貨ブログのつづき)

 

病室に入るわたしを迎える祖父の姿は、わたしが知っている姿とは違いました。

 

優しくて、いつもひょうひょうとしていて、冗談ばっかり言っていた祖父。

お正月や夏休みに遊びに行くと、いつも笑顔で迎えてくれました。

昔から糖尿病を患っていて、決して健康とは言えない身体なのに、そんな事全く気にもとめていないかのように、いつも美味しそうにビールを飲んでいたのを覚えています。

 

ものごころついた頃からその姿だったので、いまいち身体が侵されているという実感がありませんでした。

 

状況が一変したのは、足を切断した時。

 

あぁ、大丈夫じゃなかったんだ…

 

はじめてそう感じるようになりました。

 

その後入院を繰り返すことになり、祖父の家に祖父がいない事も不思議に思わなくなっていきました。

 

最後に会ったあの日、わたしにとっては、繰り返す入院生活の中の、あくまで"お見舞い"に過ぎませんでした。

 

「おとうさん、今日は〇〇(わたしの名前)と一緒に来たよ」

 

母がそう言うと、祖父は寝ていた身体を起こし、わたしを見つめました。

そしてわたしの名前をゆっくり繰り返し呼び、目をかすかに潤ませていました。

それは、まるで何かを悟ったかのような、なんとも言えない表情でした。

 

なに…どうしたの…

 

入れ歯を外しているだけとは思えない祖父のやつれた姿。

今まで見せた事のない祖父の姿を、わたしはすぐに受け止める事が出来ませんでした。

 

なんかいやだ…

 

それが何なのか、その時のわたしには分かりませんでした。

その後、祖父はほとんど話す事もなく、母とわたしは病院を後にしました。

 

そして、わたしは身体を壊し、祖父は死にました。

 

 

わたしは、祖父の最後を見届ける事が出来ませんでした。

母からの「いま、逝ったよ」というメールで知りました。

わたしのこころは、何故か静かでした。

 

長時間車に乗る事が出来ないので、葬式にも行く事が出来ませんでした。

その時のわたしの心境は、うまく表現する事が出来ません。

 

ただ、

 

「〇〇は何も悪くない。おばあちゃんわかってる。」

「悲しんでくれてるのも、本当は来たかったのも分かってる。」

「おじいちゃんも分かってる。」

「来なかった事を悪く言う人がいたら、おばあちゃん怒ったる。」

 

と、祖母が言ってくれた事で、それまで静かだったこころが流れはじめたのを覚えています。

 

一番悲しいはずなのに、わたしを心配して電話してくれた祖母。

わたしは祖母が大好きです。

 

そんな祖母からの言葉。

 

「きっとおじいちゃんがいてくれてるんやわ。」

「おじいちゃん晴れ男やったから。」

「おじいちゃんみといてなって言って出かけるんやで、そしたらついててくれるから。」

 

嬉しそうに祖父の事を話す祖母の声を聞くと、本当に祖父が見守っていてくれるような気持ちになりました。

 

それから、雨の日に歩く事が出来た時は、祖父の事を思い出すようになりました。

 

おじいちゃん、ありがとう。

 

その気持ちとともに、

 

きっと"歩け"って言ってるんだ。

 

と、歩くことの意味、歩けることの意味を感じるのです。

 

そして、明日もまた歩きます。

歩く事が出来る限り。

 

おわり 

歩く理由、歩ける理由。その2

ふと思う事がありました。

 

そういえば、なんだかんだ毎日歩けているな…

(歩く理由、歩ける理由。 その1 - 寝たきり仮想通貨ブログのつづき)

 

雨雲レーダーを使う以前は、雨の日になると気が気ではありませんでした。

窓越しに外の様子を見るのですが、止んでいるように見えても、実際はシャワー状の雨が降っていたりするので、はっきりは分かりません。

 

傘をさせたらなんて事ない雨でも、させないわたしには少しの雨でも大事です。

30分歩き終わった後には、全身びしょぬれになります。

合羽を使えばその心配も少しは無くなりますが、合羽を着て歩くのは結構大変なんです。

 

合羽の一番の弱点は視界です。

フードを被ると、かなり視界が悪くなります。

視界に入る部分は透明になっていますが、水滴がついてしまうともう駄目です。

(ワイパー欲しい)

雨音で周囲の音は聞こえづらくなるし、視界も悪い…

不安定な身体のわたしにとって、合羽を着て歩くのは、かなり勇気がいる行為なのです。

 

なので、出来るだけ合羽を使わなくて済むように、完全に雨が止んだ時を見計らいます。

 

窓を開ける事が出来ればいいのですが、わたしにとって窓を開ける行為も体力を使ってしまうので、出来る事なら避けたいのです。

(理解しがたいですよね)

 

どうせつらくなるなら、全て自分が納得出来る事に身体を使いたい。

いつもそう思いながら過ごしています。

 

窓越しに見る以外にも、雨が降っているか確認する方法を試みた事もあります。

 

鳥の鳴き声。

これはなかなか使えました。

雨が止み出したら鳥の鳴き声が聞こえてくるので、それを見計らって家を出ます。

 

蝉の声。

これは駄目でした。

鳥と同じように考えていましたが、蝉も短い生涯を無駄にしないように必死みたいです。

雨が多少降っていても鳴いているので、鳴き出したからと言って外に出ると大変な目にあいます。

あとは、外で歩いている人を見て判断する事もありました。

(平日の昼間は人通りが多くないんですよね)

 

そうやって試行錯誤しながら確認するのですが、最終的に判断するのは"感覚"でした。

 

あ、なんか歩けそう。

身体に伝わってくる"雨"の感覚がピタッと止む事があるんです。

それを感じたらすぐに着替え、外に出ると不思議と雨が止んでいます。

 

よかった…

そう思いながら家の周辺を歩きます。

雨が再び降りりだすのを注意しながら歩くので、結局あまり気分転換にはなりません。

家でいるよりマシな程度です。

ですが、わたしにとってはこの"マシ"がとても貴重なので、焦る気持ちを抑えながら歩きます。

 

それにしても、こんな時は何故早歩きになるんだろう…

(それでも十分遅いですが)

いつも時間を決めて歩いているだけだから、早歩きになる必要はないのに…

不思議だ…

 

暇なので、そんなこと考えながら歩いています。

そして、晴れの日の倍以上ヘトヘトになりながら帰路に着きます。

 

なんとか歩けたな…

 

そう思いながら、家の前まで足を運んだちょうどその頃。

 

パラパラパラパラ…

 

雨が降り出します。

 

お、運が良かったな。

 

はじめのうちはそう思っていたのですが、それが10回、20回と増えていくと、本当に運がいいだけなのか疑問に感じるようになりだしました。

 

一日中雨の予報の日でも、何故かピタッと止む時間があって、歩き終わったら降り出す…

しかもドアノブに手をかけた瞬間に降り出す日も…

たった30分の事かもしれないけど、数年間傘もさせないわたしが、歩き続ける事が出来たのは、偶然ではないような気がしてなりませんでした。

 

なにか意味があるのかな…

そう感じ出したある日の事。

 

祖母から電話がかかってきて、この事を話しました。

それを聞くなり祖母が、

 

「きっとおじいちゃんがいてくれてるんやわ。」

 

と、いきなり祖父の事を話し出しました。

 

祖父は、わたしがこの身体になった数年後、死にました。

 

 

歩く理由、歩ける理由。その3 - 寝たきり仮想通貨ブログにつづく